良寛の「災難から逃れる方法」が、すご過ぎる
良寛の自戒のことば
こころよからぬものは・・・
ことばの多き
口の早き
さしで口
手柄話
へらず口
唐ことばを好みて使ふ
おのが意地を張りとほす
もの知り顔のはなし
このことすまぬうちにかの事いふ
くれてのち其の事人に語る
返すといひて返さぬ
にくき心をもちて人を叱る
悟りくさきはなし
ふしぎばなし
神仏のことかろがろしくさたする
親切げにものいふ
人にものくれぬさきにその事いふ
おれがかうしたかうしたといふ
この人にいうべきをあの人にいふ
はなであしらふ
にげごとをいふ
はなしの腰をおる
おどけのかうじたる
おのが得手にかけていふ
ぐちたはごと
あらかじめものの吉凶をいふ
つげごとの多き
口上のながき
ひとつひとつ数へたててものいふ
みだりに約束する
しもべを使ふに言葉のあらき
客の前に人を叱る
いらぬ世話をやく
口を耳につけてささやく
をろかなる人をあなどる
かたことを好みてつかふ
目標を手放せば・…目標は達成される
コメント
自分を「変えたい」 ・・・変わらなくても変わる方法がある。
私はいつも自分を「変えたい」「変わりたい」と思っています。
でも、現在の自分を否定的にみて「変りたい」と思っているわけではありません。
では、なぜ変わりたいと思っているのか・・・それは最後にお話しいたします。
もし、あなたが私と同じようにご自身の行動パターンや思考パターンを「変えたい」と思っているのでしたら、「自分が変わる」ということについて、一緒に考察してみましょう。
自分の行動パターンや思考パターンを「変えたい」と思うのは、そのパターンを嫌悪しているからでしょうか。
「ああ、また、やっちまった・・・いけないとはわかってるんだけどな」と思うことって誰にでもあるでしょうね。
自分がいやだと思っている行動パターンや思考パターンは、邪魔な奴だから取り除いて、新たなかっこいいパターンを身につけたいと思いますか?
いやだと思うものは除外したい・・・この気持ちは理解できます。
そして、取り除いただけでは、空きができてしまい何も行動できない状態になってしまいそうなので、この空きを埋めるために新たなパターンを身につける・・・これもわかります。
ところで、これ以外の方法がないのでしょうか?
新たなものを取り付けることには異論はないのですが、いやだと思っているパターンは、邪魔な奴だから取り除かなければならないのでしょうか?
どのような行動パターンであれ、思考パターンであれ、過去に身に付けたということはそのときは、何かの役に立ってくれたことがある…と捉えることもできそうに思いませんか?
いくら、今の自分が気に入らないパターンでも、もしかすると想像もつかないような非常時に役立ってくれるかもしれません。
置いておいても、荷物にはなりません。
だから「邪魔だから、取り除こう」と考えなくてもいいかもしれません。
これまでのパターンは温存しておいて、新しいパターンを増やすというアポローチはいかがでしょうか。
持ち駒が増えれば、「王手」をかけられたときも、切り抜ける可能性は広がります。
手持ちのカードが多くなれば、人のためにカードを切ってあげることもできそうです。
これまでのパターンは、携えたまま、これまでになかったパターンを取り付けることによって選択肢の幅が広がります。
これまでになかったパターンを使うときはあたかも自分が変わったように本人も相手も感じることでしょう。
冒頭で言った「いつも自分を『変えたい』『変わりたい』と思っている」と言うことに関してですが、このやり方だと変わることがすなわち「自分の幅を広げること」「自分を進化させること」だと思っているからです。
だから、私は今後も自分を「変えたい」「変わりたい」と考え続けることでしょう。
引き寄せの法則の達人:犬の空(くう)
前世のお話 vol.2
ミルトン・エリクソンは、20世紀最大の天才的な催眠療法家で精神科医、心理学者です。
アメリカ臨床催眠学会の創始者でにあり、初代会長も勤めました。
そんなエリクソンの手法によるにエリクソン催眠を習いに行ったときのお話です。
インナーチャイルドを癒やす催眠や前世療法も学びました。
前世療法では、受講者がペアになって、催眠誘導を行う方と誘導に従って見たイメージを誘導者に話す側になります。
平たく言えば、催眠をかける方とかけられる方になるということです。
私がペアを組んだのは初対面でしたが、私より少し年上のとてもいい感じの女性でした。
その女性の誘導に従って、私は自分のひとつの前世に行き着きました。
そして、その生を終える少し前の時間にイメージの焦点を合わせます。
私が見た前世のその場面は戦争中で私はいち兵士でした。
土嚢を積み上げた広場のようなところで敵軍と機関銃で撃ち合っています。
隣には仲間の兵士が私と同じように敵に向かって銃を放っています。
そんな場面が私がこの生で命を失う直前の場面でした。
この後、まもなく私たちは敵の銃弾に倒れることになるのでしょう。
でも、そうとは知らず、私たちは敵に向かって機関銃の振動に身を震わせながら闘っています。
次の瞬間、隣にいた兵士が私の方を向きました。
そして、とてもとてもやさしい笑顔でこう言いました。
「あなたと一緒に闘えてうれしかった」と。
私たちが死を迎える直前の言葉でした。
この隣にいた兵士は、今世では、私にフリーライターになるきっかけを与えてくれた「いい話の新聞社」の社長でした。
今世で私たちふたりは、一緒に多くの人の取材に出かけました。
ほんとうにいいコンビであり、お世話になった導き手でもありました。
その社長と前世では死をともにする仲間の兵士だったとは驚きでした。
「あなたと一緒に闘えてうれしかった」という言葉を聞いた次の瞬間、私は目から涙をこぼしました。
誘導者の女性ももらい泣きをし、その後は涙声のまま、時々声を詰まらせながら誘導を続けてくれました。
ところで、前世ってほんとうにあるのでしょうか?
私にはそんなことはどうでもいいことでした。
単なる妄想であってもでっちあげのイメージであってもどうってことはありません。
私にとって前世がほんとうにあるかどうかより、この前世療法が私にもたらしてくれたものの方が重要なことだからです。
この前世療法の終了時には私はとてもすがすがしい気分で目覚めることができました。
そして、今でも前世で兵士だった社長がやさしい笑顔で「あなたと一緒に闘えてうれしかった」と言ってくれた場面を思い出し、胸を熱くすることがあります。
そして、「ありがとう、社長」と心の中でつぶやき、手を合わせたい気分になります。