なんちゃってブッダ博士の「あなたにしあわせな人生を」

このブログでは、なんちゃってブッダ博士から授かった知恵や心が軽くなるようなエピソード、観念を浄化するワークの情報などをシェアすることによって、しあわせな人生を手に入れることができるようにしたいと思っております。

良寛の「災難から逃れる方法」が、すご過ぎる

良寛が71歳の時、新潟の三条大地震がありました。死者は1000数百人、家屋の倒壊や焼失も相当な数だったといわれています。
 
このとき、良寛が知人宛に出した地震見舞いの中に「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是はこれ、災難をのがるる妙法にて候」という有名な一節があります。
 
良寛ほどの人だからこそ、地震や人の死に対してもこのようなことを言えたのでしょうが、ま~あ、凡夫の私にはとても言える言葉ではありません。
 
ですから、もっと簡単なことから練習することにします。
 
日常で起こるちょっとしたトラブルや悩み事・・・そんなレベルから、この言葉を当てはめて考えていけばいいでしょうね。
 
トラブルに遭遇したとき、人のトラブルを聞いたとき、人それぞれの応答パターンがあります。
 
先の日記の良寛の自戒のことば「ことばの多き、口の早き、さしで口、減らず口、おのが意地を張りとほす、憎き心を持ちて人を叱る、俺がかうしたかうしたと言ふ、この人に言うべきをあの人に言ふ、つげごとの多き、いらぬ世話をやく、愚かなる人をあなどる。。。」
 
やってないかな???
あああ・・・やってる、やってる(-_-;)
 
いろんなことを学んでいるわりには、できていない自分に気づくことがあります。
 
できていないと気づけば幸い。気づいたときに変えればいい。
 
しゃあないもんね。
 
ちょっとしたトラブルに逢う時節には、トラブルに逢うがよく候。
是はこれ、トラブルをのがるる妙法
 

良寛の自戒のことば

こころよからぬものは・・・


ことばの多き

口の早き

さしで口

手柄話

へらず口

 

唐ことばを好みて使ふ

おのが意地を張りとほす

 

もの知り顔のはなし

このことすまぬうちにかの事いふ

 

くれてのち其の事人に語る

返すといひて返さぬ

 

にくき心をもちて人を叱る

悟りくさきはなし

 

ふしぎばなし

神仏のことかろがろしくさたする

 

親切げにものいふ

人にものくれぬさきにその事いふ

 

おれがかうしたかうしたといふ

この人にいうべきをあの人にいふ

 

はなであしらふ

にげごとをいふ

 

はなしの腰をおる

おどけのかうじたる

 

おのが得手にかけていふ

ぐちたはごと

あらかじめものの吉凶をいふ

 

つげごとの多き

口上のながき

 

ひとつひとつ数へたててものいふ

みだりに約束する

 

しもべを使ふに言葉のあらき

客の前に人を叱る

 

いらぬ世話をやく

口を耳につけてささやく

 

をろかなる人をあなどる

かたことを好みてつかふ

目標を手放せば・…目標は達成される

ただ坐るのが座禅のやり方です。
 
悟りを求めた時点で、座禅は間違ったものになってしまいます。
 
悟りが目的ではなく、坐るのが目的です。
 
結果を目的にして、行為するのではなく、行為することを目的にして行為します。
 
すると目的を達成することができます。
 
ただやるだけでいいのですから。
 
達成不可能な目標を打ち立てて、それに向かっていくら努力しても達成することはできません。
 
目標が達成できない場合、努力ややり方が悪いのではなく、目標の立て方そのものが間違っている場合があります。
 
私たちは「今の自分を超えたい」「変りたい」と思うことがあります。
 
そう思うことは間違いではありませんが、気をつけないと「変らねば」という意識は今の自分を否定することになってしまう場合があります。
 
すると「今の自分さん」が、「ちょっと待ってよ。オレの言い分も聞いてよ。間違っているのかもしれないけど、そう感じてるんだからしょうがないでしょ!」と言ってくるかもしれません。
 
「今の自分さん」は、決して「自分は正しい。間違っていない」と主張しているわけではなく、「こう感じている」というありのままの状態を言っているだけです。
 
そんな健気な「今の自分さん」の言うことを無視すれば「あれ!オレの言うことが聞こえないとでも言うの?それじゃあ、もっと大きな声で言うよ」と言いたくなるのは当然です。
 
「今の自分さん」は「主張を受け入れろ」と言っているのではなく、「存在を無視しないでほしい。ちゃんと向き合ってほしい」と言っているだけですので、「そうなのか…そう感じているんだね」と言ってあげなければなりません。
 
そうすれば「わかってくれた?ありがとう」と言って、大声を上げることもないでしょうし、変わることに賛同してくれるかもしれません。
 
不思議ですね。
 
「変ること」が目的のうちは変ることができなくて、その目的を手放し、ありのままの自分と向き合ったときに当初の目的を達成することがあるのですから…
コメント
 

自分を「変えたい」 ・・・変わらなくても変わる方法がある。

私はいつも自分を「変えたい」「変わりたい」と思っています。

 

でも、現在の自分を否定的にみて「変りたい」と思っているわけではありません。

 

では、なぜ変わりたいと思っているのか・・・それは最後にお話しいたします。

 

もし、あなたが私と同じようにご自身の行動パターンや思考パターンを「変えたい」と思っているのでしたら、「自分が変わる」ということについて、一緒に考察してみましょう。

 

自分の行動パターンや思考パターンを「変えたい」と思うのは、そのパターンを嫌悪しているからでしょうか。

 

「ああ、また、やっちまった・・・いけないとはわかってるんだけどな」と思うことって誰にでもあるでしょうね。

 

自分がいやだと思っている行動パターンや思考パターンは、邪魔な奴だから取り除いて、新たなかっこいいパターンを身につけたいと思いますか?

 

いやだと思うものは除外したい・・・この気持ちは理解できます。

 

そして、取り除いただけでは、空きができてしまい何も行動できない状態になってしまいそうなので、この空きを埋めるために新たなパターンを身につける・・・これもわかります。

 

ところで、これ以外の方法がないのでしょうか?

 

新たなものを取り付けることには異論はないのですが、いやだと思っているパターンは、邪魔な奴だから取り除かなければならないのでしょうか?

 

どのような行動パターンであれ、思考パターンであれ、過去に身に付けたということはそのときは、何かの役に立ってくれたことがある…と捉えることもできそうに思いませんか?

 

いくら、今の自分が気に入らないパターンでも、もしかすると想像もつかないような非常時に役立ってくれるかもしれません。

 

置いておいても、荷物にはなりません。

 

だから「邪魔だから、取り除こう」と考えなくてもいいかもしれません。

 

これまでのパターンは温存しておいて、新しいパターンを増やすというアポローチはいかがでしょうか。

 

持ち駒が増えれば、「王手」をかけられたときも、切り抜ける可能性は広がります。

 

手持ちのカードが多くなれば、人のためにカードを切ってあげることもできそうです。

 

これまでのパターンは、携えたまま、これまでになかったパターンを取り付けることによって選択肢の幅が広がります。

 

これまでになかったパターンを使うときはあたかも自分が変わったように本人も相手も感じることでしょう。

 

冒頭で言った「いつも自分を『変えたい』『変わりたい』と思っている」と言うことに関してですが、このやり方だと変わることがすなわち「自分の幅を広げること」「自分を進化させること」だと思っているからです。

 

だから、私は今後も自分を「変えたい」「変わりたい」と考え続けることでしょう。

引き寄せの法則の達人:犬の空(くう)

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うちには、「くまのプゥ」ならぬ「犬のくう」がいます。
 
今は16歳ですので、老犬の部類に入りますが、一生懸命生きてくれています。
 
オスのトイプードルで、みんなからは「くうちゃん」と呼ばれます。
 
まだ若い頃、蒸し暑いある日のできごとです。
 
飼い主の娘は「今日は暑過ぎるし、忙しいから散歩はやめにしよう」と思っていました。
 
娘が何の気なしに「くうちゃん」と呼んでみると、くうちゃんは散歩に行けるものと思い込み、尻尾をピンピンと振って、ちんちんをし、二本足でピョンピヨンと飛び回ります。
 
あまりにもうれしそうにはしゃいでいるくうちゃんの期待を裏切るのも忍びなく、娘は散歩に連れて行くことにしました。
 
娘は言います。
 
「こいつ、めっちゃ、プラス思考。こっちは、散歩をやめにしようと思ってたのに名前を呼んだだけで連れて行ってもらえるものと思い込むんだから…」。
 
喜べばうれしいことが起こる…
 
確かにくうちゃんは「散歩に行けること」を少しも疑っていないようでした。
 
そして、その喜びの感情まで体中で味わってしまったのですから、娘の気持ちまで変えてしまいました。
 
ありゃあ~ 
 
引き寄せの法則でいう「思いが実現する」定石どおりのやり方をいつの間に覚えたんやろ・・・
 
写真は1歳半ぐらいの時のくうちゃんです。
 
 

前世のお話 vol.2

ミルトン・エリクソンは、20世紀最大の天才的な催眠療法家で精神科医、心理学者です。


アメリカ臨床催眠学会の創始者でにあり、初代会長も勤めました。


そんなエリクソンの手法によるにエリクソン催眠を習いに行ったときのお話です。


インナーチャイルドを癒やす催眠や前世療法も学びました。


前世療法では、受講者がペアになって、催眠誘導を行う方と誘導に従って見たイメージを誘導者に話す側になります。


平たく言えば、催眠をかける方とかけられる方になるということです。


私がペアを組んだのは初対面でしたが、私より少し年上のとてもいい感じの女性でした。


その女性の誘導に従って、私は自分のひとつの前世に行き着きました。


そして、その生を終える少し前の時間にイメージの焦点を合わせます。


私が見た前世のその場面は戦争中で私はいち兵士でした。


土嚢を積み上げた広場のようなところで敵軍と機関銃で撃ち合っています。


隣には仲間の兵士が私と同じように敵に向かって銃を放っています。


そんな場面が私がこの生で命を失う直前の場面でした。


この後、まもなく私たちは敵の銃弾に倒れることになるのでしょう。


でも、そうとは知らず、私たちは敵に向かって機関銃の振動に身を震わせながら闘っています。


次の瞬間、隣にいた兵士が私の方を向きました。


そして、とてもとてもやさしい笑顔でこう言いました。


「あなたと一緒に闘えてうれしかった」と。


私たちが死を迎える直前の言葉でした。


この隣にいた兵士は、今世では、私にフリーライターになるきっかけを与えてくれた「いい話の新聞社」の社長でした。


今世で私たちふたりは、一緒に多くの人の取材に出かけました。


ほんとうにいいコンビであり、お世話になった導き手でもありました。


その社長と前世では死をともにする仲間の兵士だったとは驚きでした。


「あなたと一緒に闘えてうれしかった」という言葉を聞いた次の瞬間、私は目から涙をこぼしました。


誘導者の女性ももらい泣きをし、その後は涙声のまま、時々声を詰まらせながら誘導を続けてくれました。


ところで、前世ってほんとうにあるのでしょうか?


私にはそんなことはどうでもいいことでした。


単なる妄想であってもでっちあげのイメージであってもどうってことはありません。


私にとって前世がほんとうにあるかどうかより、この前世療法が私にもたらしてくれたものの方が重要なことだからです。


この前世療法の終了時には私はとてもすがすがしい気分で目覚めることができました。


そして、今でも前世で兵士だった社長がやさしい笑顔で「あなたと一緒に闘えてうれしかった」と言ってくれた場面を思い出し、胸を熱くすることがあります。


そして、「ありがとう、社長」と心の中でつぶやき、手を合わせたい気分になります。

前世のお話

フリーライターとして大いに活動していた頃のお話です。
 
一時期けっこう有名になっていたチャネラーの方と取材を兼ね、一緒に食事をしたことがありました。
 
そのとき聞いた話です。
 
彼女が言うには、私の前世は宗教関係の人だったとのことです。
 
でも、決して有名な僧侶などではなく、ろばの背中に荷物を積んで行商していた貧しい一市民でした。
 
どうしても神を求める気持ちが強く、ある偉い僧侶の話を聞きたくて集会場まで出かけます。
 
でも、集会場の中に入る身分ではなかった私は、外の木の幹にろばのたずなをくくりつけ、扉の隙間から、一生懸命、僧侶の話を聞こうとしていました。
 
その姿に気づいた僧侶が言いました。
 
「そんなところで聞いていないで、中へお入りなさい。あなたは中で聞くことができる」。
 
僧侶は貧しい私を迎え入れてくれたそうです。
 
ほんとうかどうかはわかりません。
 
前世があるのかどうかも知りません。
 
ただ、どういうわけか、この話が大好きなのでシェアいたしました。