なんちゃってブッダ博士の「あなたにしあわせな人生を」

このブログでは、なんちゃってブッダ博士から授かった知恵や心が軽くなるようなエピソード、観念を浄化するワークの情報などをシェアすることによって、しあわせな人生を手に入れることができるようにしたいと思っております。

心配という感情の使い方

心配はネガティブな感情のひとつです。
 
かつて、私は家族や友人の不幸なできごとを心配するのは当たり前のように思っていました。
 
人を心配するのはやさしさからだと…
 
でも、今は不幸な人を心配している自分の感情を解放することが私の課題だと思っています。
 
自分の課題と人の課題は完全に区別した方がいいように思います。
 
落ち込んでいる人がその気持ちから抜け出ようとしているのは、その人の課題解決ですから当然その人がすべきことです。
 
私の課題はそれを見て、「かわいそうに…」と心配しているところから抜け出ることです。
 
その人の課題は、その人だけで解決すべきだと言っているわけではありません。
 
人の援助がどうしても必要なときがあるからです。
 
でも、「~してもらえませんか」と人の援助を求める行動を起こすことは、その人のできることですので、その人の課題です。
 
仮に私がその人から援助を求められたとします。
 
断るか受けるかを決めるのは私の課題です。
 
受ければふたりの課題になりますので、できる限りのことをします。
 
その人を心配するというネガティブな感情を解放した後の私は相手の援助に対する打ち手は心配していたときより、より適切なものとなるでしょう。
 

勇気づけられたこと・・・

武田哲矢の歌の歌詞で「悲しかったら、空を見よ」とか何とかいう歌詞があるそうですね。
 
武田哲矢は竜馬が好きだったから、竜馬の言った言葉から取った歌詞だったのかな・・・と勝手に想像しています。
 
僕も高知出身の妻も竜馬の大ファンで、それを強く意識していたころの話です。
当時、僕はサラリーマンでした。
 
仕事に行き詰まりを感じ、ものすごく落ち込んだ時期がありました。
 
医者に診てもらったわけではありませんが、病院へ行けば、うつ病神経症などと診断名がついたかもしれません。
 
朝起きた瞬間から身体も気分も重く、時間ぎりぎりになってやっとふとんから抜け出るという有様でした。
 
うなだれながらも、会社に行こうとしている不恰好で冴えない僕を妻は車で駅まで送ってくれました。
 
「行ってきます」の言葉もないまま車を降り、トボトボと改札口に向かおうとしている僕の背中に妻は大きな声で叫びます。
 
「お父さん、空よ!」「空を見るのよ!」
「つらいときにはね、空を見るのよ!」
 
振り返ってみると、妻の右手の人差し指は、空を差していました。
 
「ああ・・・」と元気のない声で答える私は、空を指差す妻の姿をぼんやりと眺めていました。
 
その後、私は悲しくても辛くても空を見上げることはありませんでした。
 
妻が言ったとおり空を見上げることはなくても、あのときの「空を見るのよ!」と言ってくれた言葉がどれほど私に勇気をくれたことか。
 
言ったことの内容なんて、どうでもよかった。
 
智慧の限りを尽くして妻が考え出して言ってくれた言葉なのだから・・・
 

はじめに

このブログの執筆者、小松良行は長年、フリーライター、心理カウンセラーとして、活動してまいりました。


カウンセラーという立場では、グループワークを行ったり、講演活動を行ってまいりました。


講師という立場で行うときには、受講者の方からいろんな質問が寄せられることがあります。


その質問には、これまで学んできた心理学などの知識や経験から得た知恵などを交え答えます。


ところが、中にはこれらの知識や知恵を総動員しても、刃が立たないほどの難問に遭遇することがありました。


そんなとき、私の思考は完全にストップし、ちょっと異次元にでも入ったような不思議な感覚を覚えることがあります。


次の瞬間、その難問に対する、自分では思いもつかないほどの素晴らしい回答が口をついて出ることがありました。


よく「降りてくる」とか「ハイヤーセルフの声を聞く」などと表現する方がおられますが、そういった感じだと思っていただければいいのではないかと思います。


といっても、私の場合、実際に声が聴こえてくるわけではありません。


強いて言えば、知恵の塊がボンと降りてきて、体の中に入り込み自動的にしゃべってしまっているというのが、もっとも適切な表現かもしれません。


知恵が降りてくるときの意識状態のことをどう表現すればいいだろうかと考えていたとき、ふっと「ブッタ」という言葉が思い浮かびきました。


でも、「ブッタ」では、あまりにもおこがまし過ぎますので、「なんちゃってブッダ博士」というネーミングを思いつきました。


その後、「なんちゃってブッダ博士のお出ましだ」などと擬人化するようになってから、このときの感覚がより捉えやすくなりました。


困ったとき、フッと知恵が降りてきます。


そんなとき「あっ、これは、なんちゃってブッダ博士の知恵だ」と感じるか「自分の過去の経験から導き出したエゴの声だ」と感じるかの違いがより明確になったのです。


なんちゃってブッダ博士の知恵が降りてくるようになったのは、私自身が観念浄化や感情解放テクニックなどのセルフセッションを通して、ある程度、浄化が進んだ状態になってからのことでした。


といっても、何も私が特別ではなく、おそらく、誰にでも知恵は降りてきているのだろうと思います。


ただ、エゴの声が大きすぎるとその声にかき消さえて、肝心の知恵の声が聞こえないのだろうと思います。


もちろん、私自身もいつも知恵に満ちた考えばかりで毎日を送っているわけではありません。


あるときは、エゴの声に従って、失敗することもある凡夫です。


そんな凡夫の私が書くこのブログでは、なんちゃってブッダ博士から授かった知恵や心が軽くなるようなエピソード、観念を浄化するワークの情報などをシェアすることによって、みんながしあわせな人生を手に入れることができるようにしたいと思っております。


自分一人でしあわせになることはできません。


みんながしあわせを手にして、そしてしあわせなな気分で集うとき、そこには温かで穏やかな空気に包まれそうな気がしてなりません。