心配という感情の使い方
勇気づけられたこと・・・
「つらいときにはね、空を見るのよ!」
はじめに
このブログの執筆者、小松良行は長年、フリーライター、心理カウンセラーとして、活動してまいりました。
カウンセラーという立場では、グループワークを行ったり、講演活動を行ってまいりました。
講師という立場で行うときには、受講者の方からいろんな質問が寄せられることがあります。
その質問には、これまで学んできた心理学などの知識や経験から得た知恵などを交え答えます。
ところが、中にはこれらの知識や知恵を総動員しても、刃が立たないほどの難問に遭遇することがありました。
そんなとき、私の思考は完全にストップし、ちょっと異次元にでも入ったような不思議な感覚を覚えることがあります。
次の瞬間、その難問に対する、自分では思いもつかないほどの素晴らしい回答が口をついて出ることがありました。
よく「降りてくる」とか「ハイヤーセルフの声を聞く」などと表現する方がおられますが、そういった感じだと思っていただければいいのではないかと思います。
といっても、私の場合、実際に声が聴こえてくるわけではありません。
強いて言えば、知恵の塊がボンと降りてきて、体の中に入り込み自動的にしゃべってしまっているというのが、もっとも適切な表現かもしれません。
知恵が降りてくるときの意識状態のことをどう表現すればいいだろうかと考えていたとき、ふっと「ブッタ」という言葉が思い浮かびきました。
でも、「ブッタ」では、あまりにもおこがまし過ぎますので、「なんちゃってブッダ博士」というネーミングを思いつきました。
その後、「なんちゃってブッダ博士のお出ましだ」などと擬人化するようになってから、このときの感覚がより捉えやすくなりました。
困ったとき、フッと知恵が降りてきます。
そんなとき「あっ、これは、なんちゃってブッダ博士の知恵だ」と感じるか「自分の過去の経験から導き出したエゴの声だ」と感じるかの違いがより明確になったのです。
なんちゃってブッダ博士の知恵が降りてくるようになったのは、私自身が観念浄化や感情解放テクニックなどのセルフセッションを通して、ある程度、浄化が進んだ状態になってからのことでした。
といっても、何も私が特別ではなく、おそらく、誰にでも知恵は降りてきているのだろうと思います。
ただ、エゴの声が大きすぎるとその声にかき消さえて、肝心の知恵の声が聞こえないのだろうと思います。
もちろん、私自身もいつも知恵に満ちた考えばかりで毎日を送っているわけではありません。
あるときは、エゴの声に従って、失敗することもある凡夫です。
そんな凡夫の私が書くこのブログでは、なんちゃってブッダ博士から授かった知恵や心が軽くなるようなエピソード、観念を浄化するワークの情報などをシェアすることによって、みんながしあわせな人生を手に入れることができるようにしたいと思っております。
自分一人でしあわせになることはできません。
みんながしあわせを手にして、そしてしあわせなな気分で集うとき、そこには温かで穏やかな空気に包まれそうな気がしてなりません。