心配という感情の使い方
心配はネガティブな感情のひとつです。
かつて、私は家族や友人の不幸なできごとを心配するのは当たり前のように思っていました。
人を心配するのはやさしさからだと…
でも、今は不幸な人を心配している自分の感情を解放することが私の課題だと思っています。
自分の課題と人の課題は完全に区別した方がいいように思います。
落ち込んでいる人がその気持ちから抜け出ようとしているのは、その人の課題解決ですから当然その人がすべきことです。
私の課題はそれを見て、「かわいそうに…」と心配しているところから抜け出ることです。
その人の課題は、その人だけで解決すべきだと言っているわけではありません。
人の援助がどうしても必要なときがあるからです。
でも、「~してもらえませんか」と人の援助を求める行動を起こすことは、その人のできることですので、その人の課題です。
仮に私がその人から援助を求められたとします。
断るか受けるかを決めるのは私の課題です。
受ければふたりの課題になりますので、できる限りのことをします。
その人を心配するというネガティブな感情を解放した後の私は相手の援助に対する打ち手は心配していたときより、より適切なものとなるでしょう。